COLUMN

ブンガクの小窓 第十二章 -矜持-

OTHER 2017.08.25 Written By ケガニ

どういうときに使うか

 

 

ほめられたい。

 

人間の欲求の中でも、大人になればなるほど重要になってくるのが社会的な価値、すなわち名誉に対する欲求だ。子どもの頃の欲求は即物的で、「睡眠が欲しい」、「ミルクが欲しい」、「おもちゃが欲しい」、「漫画が欲しい」、「友だちがほしい」等々そばにあれば満たされるような何かに対するものであることが多いが、大人になればそうはいかない。お金も家も、全てをなげうってでも社会的に認められたいという人もいるだろう。有名な「マズローの欲求5段階」の中でも、この「承認欲求」は「生理的欲求」→「安全欲求」→「社会的欲求」の3つを満たしたあとに初めて目指される、ある意味でかなり高次の欲求である。

 

 

 

筆者には何をかくそう、子どものころから受賞歴がほとんどない。誰からも尊敬されないまま大人になってしまった。表彰台に上がるオリンピック選手をテレビの前でぼんやり眺めながら、自分が「金メダル」をもらう場面を想像して、その後すぐ空しくなることさえある。ほとんど唯一の受賞が校内読書感想文と校内文学賞だった。どちらも特にメダルや副賞がもらえたわけではない佳作程度だが、よほど子ども心に嬉しかったのだろう、いまだにこうして文章を書いて暮らしているというわけだ。ほめられたがりの性分、われながらなんとなく浅ましい。

 

さて、著名人の受賞コメントなどで、「○○としての矜持(きょうじ)をもってがんばりたい」などと言っているのをよく耳にする。文脈はさまざまだが、大筋はこの賞に恥じぬようにしっかりがんばりたい、という意味で使われているようだ。こういうコメントを残す人は、ほめられているくせに思い上がらないのだからますますほめられる。筆者なら照れてまともにコメントも残せず、「やっててよかったっす」みたいなことを言ってお茶を濁すだろうと思う。

 

 

名誉の「ちょうどよさ」

 

 

「矜持」とは、簡単に言えばプライドのことである。受賞式で矜持という場合は、この賞をもらったというプライド、プロ野球選手が矜持という場合はプロとしてのプライドを指すということになる。しかしマイナスの意味で「プライドが高い」あるいは「プライドが低い」と言う場合、「矜持が高い」「矜持が低い」と言い換えることは決してできない。なぜだろうか。

 

ギリシャ哲学の偉人、アリストテレスは、代表作『ニコマコス倫理学』において人間が生きていく中で「よいこと」(これを「徳」という)をさまざまなパラメータについて論じた。そしてそれらについて彼が導いた結論とは、「ちょうどよさ」(これを「中庸」という)であった。たとえば気が小さくて「臆病」であることと、あまりにも大胆な「蛮勇」とのあいだの「ちょうどよさ」は「勇気」ということになる。この中で名誉に関する「ちょうどよさ」こそが、自分を必要以上に貶めて考える「卑屈」と自分の真価よりも自分の価値を高く考える「傲慢」のあいだの「矜持」である。

 

 

 

もとの言葉はギリシャ語でmegalopsuchia、英語にはmagnanimityと訳されている。どちらも太っ腹とか高貴さといった「精神的な大きさ」という意味がある。日本語では、アリストテレスの論じた文脈から意味をとってこの語を「矜持」と訳したというわけだ。

 

 

ニコマコス倫理学〈上〉

 

 

矜持の難しさ

 

 

つまり、社会的に認められた価値と比べて、ちょうどよい自己評価をしている状態のことを「矜持」と呼ぶわけだから「矜持が高い」も「矜持が低い」もあり得ないことになる。受賞者のコメントも、単に受賞したのだからプライドを持ってOKですよね、ということではなく、世間の評価にちょうど値する人間であり続けたいということに他ならない。

 

しかし、すぐさまこれがいかに難しいことかがわかるだろう。まず「世間の評価」自体が流動的で計測不可能なものだからだ。それはマスコミが決めるものでもなければ、ツイッターのフォロワー数が決めるものでもない。さらに「自己評価」にもまた同じ困難がある。ある日の自分がすばらしい人間に思えたとしても、次の日もまた同じようにすばらしくは思えないかもしれない。人間は自分の中に確固たる基準を持って自己評価しているわけではないのだ。さらに「ちょうど値する」という部分にも困難がある。どうせ自分なんてとネガティブな感情を持っていたとしても、残酷な話だが、実際にその程度の人間である可能性もある。自分はすばらしいとポジティブな感情を持っていたとしても、実際にちょうどその程度すばらしい人間であるかもしれない。

 

 


つまり、正確に定義できないけれども「自分はこの程度だろう」という卑屈と傲慢の入り混じった状態こそが矜持の本質なのだ。そうそう、すっかり大人になってしまった今、筆者も自分がどの程度の人間かはわかっている。だがやっぱりこう思ってしまう。もっとほめられたい、と。

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